東洋医学ではよく“気”という言葉がでてきますが“気”は気持ちや空気、電気など、様々なところで使われています。本来“気”は温泉マークでよく見かけるあの記号をその源とします。つまり昔の人は湯気を見て「暖めたり潤したりする働きはあっても一定の形をなさないもの」を“気”と呼んだのです。ですから音楽や香り、絵画の色彩や味といった形はないけれども存在はあるものも“気”から出来ていると考えます。音楽を聴いて、美味しいものを食べて、良い絵を見て気持ちが良くなるのは、これらの気が働きかけた表れでしょう。
では身体ではどうでしょうか。身体も元気や病気など気という言葉を使いますが、身体の気は単純に電気とお考え下さい。
身体は多くの電解質から作られ、細胞レベルでプラスとマイナスの電気の交流により、生命活動が営まれていることはすでに現代医学で証明されています。昔の人も「何かわからない力で人は生きている」と考えた末にその働きをすべて“気”に求めたのでしょうか。ですからこれを読まれて何かを感じる事も、例えば「何となく好き」という意味不明の感情もすべて気の働きと書けば、私と気持ちが通じると思いますが。