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光(風)について

二十世紀の始めに現代物理学の二本柱である量子論と相対性理論が作られ、物質の究極微少構成要素(素粒子)から作られるモノのしくみや、それらの動きが解明されようとしている。この理論(量子論)は「ミクロの世界にあるものが、いかなる形で自然という大きいものを為さしめて、全体としてその仕組みがどうなっているかを表した」考え方である。そしてこの量子論においてミクロの物質(モノ)は、の動きをする(波動)の法則が従来の感覚ではなく、実験によって立証されたのであるが、彼等物理学者が究極微少物質の動きや、モノの構成原理を発見するに到った題材の光を東洋医学ではどのように扱っているのだろう。

光は火と人の合字を語源とする。おそらく古代の人々は、手に火を持ち高く挙げた時に得られる状態から、この字を作ったのであろう。そして『内経』では光について「光は天が為されること。」「聖人は静かに光が推移するのを待つもの(天の意思が下がらなければ動くべきではない、或いは天の意思である光、陽気が満ちなければ動くことは出来ない)」であると述べられている。つまり光は陰の海水に対し陽の太陽光が働きかけた時に始めて、人も含めた有機生物が作られる法則を述べているのである。そして人の中に神の光が入り、神の化身である気が動くのである。『内経』における気の動きは、邪気に対する正気の動き(風)で表現されるが、この動きは「光は波(波動)の如く進む」という、19世紀に物理学で証明された動きと一致する。

すなわち気の動き方(風)は光の進み方と同じ波動であり、身体の内外を問わず、モノが動く時には波動の動きをする風が生じ、様々な変化を出現させる。物理学でいう波動は、東洋医学では風の範囲で考えられるのである。しかし気は光ではない。なぜなら気は神の化身であり、光は神の動きだからである。

次に光を構成する色について考察する。

色も『五藏生成論』に「五藏之氣.故色見」『般若波羅密多心経』に「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色。無受想行識。」と述べられているように、五象(木、火、土、金、水)の特徴は、生体において色に投射される。このことも17世紀に発見された「無色透明である光(太陽光)は種々の色を持った集合体である。」という事実と重ね合わせて考えると、本来人は無色透明で色は持たないが、人が有する色は釈尊が言う「その人の空の領域における欲(色)の投射が色に表れる」のである。

すなわち人において、天の光(陽気)が本来は無色であるはずの五臓に投射されて、始めて五臓本来の働きをするのであるから、五行に配当されている色は、その蔵気が働いていることを示すパラメータである。そして形の崩壊(死)と共に「気が散じる(道教思想)」ので五臓特有の色は無くなり土(色)に返る。このように色をもたない光はそれらに当たり照らすことによって、そのモノの働きを引き出す作用を有する。言い換えると光はモノを動かすStarterであると言える。

釈尊の解釈

身体というのは父母の和合により生じたものであるから、本来自分という「我」はないはずのものである。よって本来実体がないのであるから生と滅の区別はない。では亡くなった後「心」はどうなるのかと、私に尋ねる人がいるが、そのような人に対して私は「現在とらわれていることから一切を離れて眺めれば、それらは皆空虚な出来事で、その悩む存在そのものがないと悟れば、その生死の苦しみからも解放されて、心は軽くなるはずである。そのような心になることがすばらしいことである。」と教える。

あらゆる物質の存在はすべてが「空」である。また「空」そのものが物質の存在である。あれが見えても、こちらが聞こえても全てが「空」から起こった出来事であるから、何もとらわれる必要のない心の状態になることが大事である。

一休宗純の「空」解釈

「色」とは地水火風が仮に和合している四大化身である。形有るものには全て色があるといい、形があればこそ、眼にその色々が見える。ゆえに「色」というのである。四大化身といっても元来「空」であり、形なきところに生じるものであるから、色身は空に異ならないと釈尊も説かれているが、私一休は色身も元来不生不滅の真空の表れなのであるから、色も空も異にならずなのではいだろうか。「即」を「やがて」と訳すれば、色の自体がそのままの「色」ではないだろうか。「空」を離れて色はなく、色を離れて空はない。例えるならば水と波の如く一体であり、二つはないのである。

『唐三藏法師玄奘譯、般若波羅密多心経』(The essence of the Prajnaparamita)解説

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。

色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無限界。乃至無意識界。無無明。

亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩。

依般若波羅蜜多故。心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離〔一切〕顛倒夢想。究寛涅築。三世諸佛。

依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。

是無等等咒。能除一切苦。眞實不處故。説般若波羅蜜多咒。
即説咒曰掲帝掲帝般羅掲帝般羅僧掲帝菩提僧莎訶。般若波羅蜜多心経

『日本語訳』

一切を知る者に礼してたてまつる。求道者アヴァローキテーシュヴァラは般若に到達しようと深遠な行を実践していた時、五蘊はすべて空であると見抜いた。シャーリプトラ。色は空であり空性が色である。色は空と異ならず空は色と異ならない。色とは空であり空とは色である。受・想・行・識もまた同様である。シャーリプトラ。一切の法は空の様相をしている。生じることもなく滅することもない。汚れることもなく清浄であることもない。増すこともなく減ることもない。

だからシャーリプトラ空の中であるから色はなく受も想も行も識もない。視覚も聴覚も臭覚も味覚も触覚も心もない。視覚の対象も聴覚の対象も臭覚の対象も味覚の対象も触覚の対象も心の対象もない。視覚の領域から心の領域までことごとくない。迷いもなく迷いがなくなることもない。老いも死もなくまた、老いと死がなくなることもない。苦しみも苦しみの原因も苦しみを制することも苦しみを制する道もない。知ることもなく得るところもない。求道者は般若に到達するので心を覆うものがない。心を覆うものがないから恐れがなく、正しくものを見ることのできない迷いから遠く離れ、一切の迷いから脱した境地に入っているのである。過去・現在・未来の目覚めた人々は般若に到達することによって、このうえもない正しく平等な目覚めを得る。

それゆえに般若に到達することは大いなる真言、大いなる悟りの真言、無上の真言、無比の真言であると知るべきである。全ての苦しみを除くことができるものである。真実であり偽りがないから般若に到達することの真言が説かれた。すなわち真言を説いて言うにはガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボーディースヴァーハーこれで般若に到達することの真髄を終わる。

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