現代鍼灸師事情
190000人、令和の登録鍼灸師の数である。これだけ鍼灸師免許を持っている人がいるのに鍼灸院だけの標榜を示す鍼灸院は32000軒6%しかない。但しこれらも美容痩身、マッサージ、電気鍼等々本来の鍼灸治療以外のオプションを抱き合わせている鍼灸院も含むと考えれば、誇り高く自信と実績を持って標榜し、且つ患者さんから医療機関としての選択枝の一つと認識されている鍼灸院数はもっと少ない。
逆にこれ以外の94%の鍼灸師免許を持った人は別の仕事をせざるを得ない事態になっている。
すなわち3年間の授業料、生活費込みで約1000万円もの大金をかけて学卒し免許を取っても実務が出来ない人が95%以上もおられるのである。この事実を国はどう思っているのだろうか、恐らく卒後鍼灸師が免許で暮らせないことを思ったことも気になったこともないだろう。
何故ならこの国は未だに敗戦後のトラウマを未だに引きずり欧米に逆らえず押しつけられた医療国を作ってきたからであり、西洋医学こそ絶対的中心で憧れの対象であるからである。このことは日本医学史が近代医学史から始まり、それ以前の医学史を詳細に書いていないことからも理解できる。
つまり医学は近代からであり、それ以前の医学を学ぶ事は近代に逆行する事と考えたために一切の過去を切り捨てたのか、それとも余りに高度すぎて理解の範囲を超えたかのどちらかである。
しかしその後欧米で中国医学、東洋医学の人気が高まると、それまでの日本鍼灸史の蓄積が全く無かったかのように忘却し、あろうことか“西欧が認めている中国の医学だから”との根拠も調べないで売り込み学問の『中医学』を疑うこともなく妄信し、あっさりとこの国の東洋医学基準にしてしまった。その当時の無知で軽薄な判断は結果的に悲惨な現実を作り不幸では片付けられない方々を多数作ったのである。
もはやその時の判断は未必の故意と言える国家詐欺ではないのだろうか。夢と希望を持って鍼灸学校に入学する方々にはそれぞれに卒後のプランがある、何よりも愚木自身、中医学を妄信していた失われた十年の鍼灸学校教書の内容では家族の単純な腰痛程度しか治せず、夜間の幼児高熱も、全身の湿疹でかきむしり血膿で泣き叫ぶ皮膚炎も、何の薬でも止まらない咳も、疼いて腫れて歩く事も出来なくなった膝痛等々全く思考の緒も出来なかった。しかも国家資格でありながら信用もなく医師にも評価されなかった。
すなわち免許を取っても誰にも相談できず独りになった卒後鍼灸師は、次第に現実を知って違う職業を模索しやがて転職せざるをえなくなる。これが現実である。しかしながら今もひたすら上意下達に逆らわず鍼灸師免許基準の教科書を学者は作っている。
ただ言い訳にもならないが、これらの医者も学者も中医学に疑義を持つことが許されず“逆らうことは場から追放される”との弱者保身が本能的に優先するので、作為的に人生設計を砕かれた不幸な方々を作ったわけではない。時代的風潮で当時の人達も未だに現代の人達も、敗戦により今までの日本文化思想は総て間違いであったと思い込まされ、過去の日本思想文化を自ら全否定している不幸な敗戦国民であることにあり、その呪縛は未だに解けていないことに総ての原因がある。
この歪んだ卑屈な現代日本人の思想は直ぐに矯正されることはないが、この程度の歪みで本来の鍼灸治療が廃れることはない。何時の時代でも連綿として受け継がれていくのが真実の強みである。