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Ⅰ. 大極

1. 古代インド哲学から釈尊までに至る空理論と零思想

① 釈尊以前の思索、古代インド人の死生観、古代インドに於ける万物創造の最初の思考。
『リグ・ヴェーダ宇宙開闢の歌』解説

釈尊以前の思索

古代インドに於ける万物創造の最初の思考は、通常『リグ・ヴェーダ』にそれを求め考察を行なっていく。以下にインド哲学に於ける万物の根源の無有論について述べていくが、その前にリグ・ヴェーダについて簡潔に述べ、その後オットーシュトラウス著、湯田豊訳『インド哲学』より『インド哲学の曙・宇宙開闢の創造賛歌』、辻直四郎著『インド哲学の曙』を抜粋して掲載する。

リグ・ヴェーダ

『ヴェーダ』は知識(特に宗教的知識)に関する文献を指し、四つ(リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダ)に分類されるが、この四ヴェーダ中最古で且つ重要な『リグ・ヴェーダ』は、紀元前1000年以上前から口頭で伝承されてきた、これは神への賛歌を文字化したもので、インド・アーリア人の哲学的・宗教的思索の集大成である。そしてこの『ヴェーダ』がバラモン教を形作り、現在ヒンドゥー教に受け継がれている。各ヴェーダは通常、集本の『サンヒター』を指すが、この後に付属文献として『ブラーフマナ(梵書)』、『アーラヌヤカ(森林書)』、『ウパニシャッド(奥義書)』が成立する。

『インド哲学の曙・宇宙開闢の創造賛歌』(オットーシュトラウス著、湯田豊訳『インド哲学』より)

  1. そのとき無もなければ何もなかった。大気もなければそれを超えて天もなかった。
  2. 何が動いていたのか。何処に。誰の保護の下に。水は何であったか測り知れないもの、深いものは。そのとき死もなければ不死もなかった。昼と夜を区別するしるしもなかった。
  3. あの一つであるものは自らの力によって風もないのに呼吸していた。それ以外には何一つとして他のものはなかった。
  4. 闇は最初に覆われこのすべては区別のないうねりであった。あの一つであるものは生命の芽生えとして空虚に囲まれその内部の熱の力によって生じた。
  5. 欲望は(生じた後で)始めてそれ(あの一つであるもの)を襲った。そしてこれは心の初めての流失であった。賢者は熟慮をもって彼らの心の中に求めたとき、(このようにして)無に対する有のきずなを見出した。
  6. 彼らの紐は斜めに張られていた。下は存在したのか、上は存在したのか。精子を射精する人は存在した能力は存在した。根源力は下に緊張は上に。
  7. 一体誰がそれを知っているのか、誰がそれをここで告げることができようか、何処からそれが生じたのか、どこからこの創造があるのか。神々はこの(万有の)創造によって(生じて)いる。
  8. それでは誰が何処からそれが生じたかを知っているのか。
  9. 何処からこの創造が生じたのか、彼がそれを為したかどうか、最高天にあってそれを監視しているものは確かにそれを知っている、あるいは彼もまたそれを知らない。

辻直四郎著『インド哲学の曙』

  1. そのとき(大初において)無もなかりき。空界もなかりき、そを蔽天もなかりき。何物か活動し、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水(原水)は存在せりや。
  2. その時死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識(日月星辰)もなかりき。
    かの唯一物(創造の根本原理)は自力により風なく呼吸せり。之より他何物も存在せざりき。
    大初において暗黒は暗黒に蔽われたとき。一切宇宙は光明なき水波なりき。空虚に蔽われ発現しつつありしかの唯一物は、自熱の力によりて出生せり。
  3. 最初に意欲はかの唯一物に現れぜり。こは意(思考力)の第一の種子なりき。聖賢らは熟慮て心に求め、有の親縁を無に発見せり。
    (後の文献と比較して考えれば、展開の順序は唯一物-(水)-意-意欲-熱力(瞑想.苦行により体内に生じる熱で創造力を持つ)-現象界となる。)
  4. 彼ら(聖賢)の縄尺は横に張られたり。下方はありしや、上方はありしや。射精者(能動的男性力)ありき、展開者(受動的女性力)ありき。自存力(本能。女性力)は下に、衝動力(男性力)は上に。
  5. 誰か正しく知るものぞ。誰かここに宣言し得る者ぞ。この展開はいずこより生じ、何処より来たれる。諸神は宇宙の展開よりのちなり。しからば誰か展開のいずこより起こりしかを知る者ぞ。
  6. この展開は何処より起こりしや。彼(最高神)は創造せりや、あるいは創造せざりしや。最高天にありて宇宙を監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。

以上お読みいただいておわかりになる様に、古代インド人も中国人同様『万物の究極的根源は一体何であるか』について深く考察していた様である、しかし古代インドでは中国哲学と異なり、万物の本源を名前すら付け様がない、あるひとつの力と認識し、万物全てが生じる根源を、多種多様な神々を創造して思惟し説明しようとしていた。これは恐らく現代のような知識も文明もない時代に於いて、自然の猛威が厳しく、また説明も解釈もすることが出来ない超自然現象の一切が、当時その中で暮らしていた人々にとって大変な脅威であり、逆らうことも出来ない力、すなわち或る種のあきらめ的思考の象徴として、神という抽象物を創造したのではないだろうか。

つまり理解の限界を超えて起こりうる現象の一切、例えば山や川の地形や風や、寒暑等の自然現象や人の生死といった生命現象等が、全て神の仕業と考えたのは、至極当然のことのように思える。さらに古代インド人たちは、自分の体内の中にも自分以外の神が存在し、自分も神より分派し神に帰一するとの考えに到る。その内に存在する神と自由に連絡を取る為の『呪術的な力:ブラフマン』を高めようと努力を重ね、ついに祭礼や儀式により神に近ずくと認識する。

そしてその行為により、或いはその行為を行なう者が神であり、神にもっとも近い者、意思を受け継ぐ者であると錯覚するようになり、やがて宗教家へと体系つけられていく。この様な思索形態はウパニシャッド(秘密の教え)と呼ばれているが、しかし体系付けがなされる以前に於いて人々はより純粋に、自分の内にある自我を自我と認識することはなく、自我を神と認識して行動していたのである。

これは『自分の内にある自我:アートマン』と呼ばれる。この思想は形として存在しないはずの神(無)を、あたかも人の上に君臨し、全てを創造して支配している形として存在する神(有)、と認識することによって、自分も含めた天地一切が作られ、その神に帰一していくとの認識が固定通念化されて、人々に浸透していったのである。

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